大判例

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福岡高等裁判所 昭和30年(ナ)2号 判決

原告 尾渡市太郎

被告 大分県選挙管理委員会

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は、「昭和三十年四月二十三日施行せられた大分県議会議員の選挙の効力に関する原告の異議申立について被告が同年五月二十六日なした決定を取り消す。右選挙を無効とする。訴訟費用は被告の負担とする。」との趣旨の判決を求め、その請求の原因として、

(一)  原告は、昭和三十年四月二十三日施行せられた大分県議会議員の選挙に際し、選挙権を有し且右選挙に立候補し中途辞退したものであるが、同月二十九日被告に対し右選挙の効力に関して異議の申立をなしたところ、被告は同年五月二十六日異議申立棄却の決定をなした。

(二)  ところで原告は右選挙に当つて公職の候補者として、任意制公営立会演説会(公職選挙法第一六〇条の二)及び任意制選挙公報の発行(同法第一七二条の二)の利益を享受し得べきであつたにかかわらず、これに関する大分県条例の制定がなされていなかつたため、その恩典にあずかることができなかつた。右は県条例の議案提出権を有する大分県知事並にその議決権を有する大分県議会の怠慢乃至は故意に因由し、換言せばその法的措置に不真正不作為による重大過失を内に孕んで発延実施された選挙であるから、該選挙は当然無効であるとの見地から異議の申立をなしたのであるが、被告は右公職選挙法の規定は、あくまで任意規定であるから、これらに関する県条例の制定のないことをもつて直ちに選挙の規定に違反し当該選挙が無効であるとはいい得ないとして原告の異議申立棄却の決定をなしたのである。

(三)  しかしながら、この任意制公営立会演説会制度において、その任意裁量を如何なる場合に適用したら社会通念に合するかを考究してみるべきではないかと思料する。

その第一は、任意裁量を県条例制定の場において行政庁が決定する場合である。この場合「行わない」コースの方を選べば公営立会演説会に対する有権者の待望、候補者の利益、選挙運動の公正な運営を何等考慮することなく、生きものである政治を第一段階で断ち切ることとなり、今度の大分市における県議選挙のように、個人演説会の持ち寄りという変則的立会演説会まで開催しなければならないような社会情勢の下では、それは正に行政機関の裁量権の濫用であり、自由裁量の条理上の限界を超えた越権行為である。それ故に時の流れに敏感で条理法の支配する余地の広い行政行為においては、本件は当然違法行為たるを免れない。今度の選挙を通観するに、立会演説会を「行わない」という消極的退嬰的ルートを「行う」という積極明快なルートより優位のものとして採用しなければならなかつた理由は全くその発見に苦しむのである。現在の合同政談演説に対する一般大衆の関心度からしても、少くとも前期最終県議会においては右条例を制定すべきであつたというのが一般社会通念に合するものといわなければならない。

その第二は、任意裁量を既に制定されている条例に基いて、立会演説会の実行の際を場として考えてみるにどうしてもその任意規定を「行わない」ルートに打ち出したいならこの第二の場合において、これが採択を決すべきものと信ずる。これを要するに、第一の場合は法規裁量を重要視し、第二の場合は便宜裁量に重点をおいて取り扱うのが行政の筋合に合したものと思料する。

(四)  更にまたこれを法理的部面から考えてみるに、現行公営立会演説会には次の三態様がある。すなわち

(1)  義務制公営立会演説会(公職選挙法第一五二条)

適用者-衆、参議員、都道府県知事及び同教育委員会の委員

(2)  任意制公営立会演説会(同法第一六〇条の二)

適用者ー都道府県議会議員、区を設ける指定市の市議会議員及び市町村長

(3)  公営立会演説会不開催(同法に規定なし)

適用者ー市町村議会議員

さて右に関する地方公共団体の条例不制定の場合は、候補者に対する(2)の恩典は全然没却せられ、実質的に(3)の場合と何等異るところがないこととなる。成文において「……条例の定めるところにより……」とあるのについて、その淵源を省察するに、それは新憲法の一の法流をなす地方自治(憲法第九四条)の自治立法に根拠して挿入されているのである。その自主法に対する行き方を全然採用しないとすれば、「……の規定に準じて公営の立会演説会を行うことができる。」との規定で十分間に合うのである。そして県としては条例のかわりにこれが施行規則を作ればよいのである。故に条例の制定は前記(2)の必須条件となり、県条例が制定されていなければその自治地区内では公営立会演説会は絶対に開催することができないので、行政庁は主権在民者に権利又は利益を付与する行為につき厳正なる履行義務を怠つたこととなるのである。換言せば同条例を制定してある場合に当然享受し得べきであつた候補者の具体的権利乃至利益を剥奪する行政行為が行われたこととなるのである。すなわちこの類例の少いであろう本件法学的類推が許されるなら、それは実質において一種の覊束となるのである。任意規定に対して非能動的禁止命令を発したのと同じ結果になるのである。法の覊束裁量ー用語の適正であるか否かは分らないが-を誤る行為は法の覊束の違反と同様違法行為であり、公職選挙法第二〇五条にいう「選挙の規定に違反する」場合に該当するのである。然るに被告は「……できる」との法文の辞句に重きを置き法の趣旨目的の合理的解釈をおろそかにしているように思料せられる。

これを要するに以上揚げた社会通念及び法理学的解釈の面から考究して選挙の規定違反が成立し、従つてその当然の帰結として大分県議会議員の選挙は無効であるから、請求趣旨記載の判決を求めるため本訴に及んだ。

旨陳述した。(立証省略)

被告代表者は、主文と同旨の判決を求め、答弁として、

原告の主張事実中、(一)の事実並に(二)の事実のうち本件選挙に際し任意制公営立会演説会(公職選挙法第一六〇条の二)及び任意制選挙公報の発行(同法第一七二条の二)に関する県条例が制定されていなかつた事実は、これを認めるが、その余の点はすべて否認する。

(一)  凡そ本件選挙が公職選挙法第二〇五条にいう選挙の規定に違反することがあるかどうかは、それが管理執行の規定違反かどうか更に選挙の結果に異動を及ぼす虞があるかどうかにかかるものであつて、同法第一六〇条の二及び第一七二条の二の規定は、いずれも「……できる」とあつて、あくまで任意規定であるから、これに関する県条例の制定なく従つて本件選挙において公営立会演説会を開催せず又選挙公報を発行しなかつたことは、選挙の管理執行の手続に関する規定の違反とはならず選挙が無効であるとはいえない。

(二)  次に立会演説会における演説のみが候補者の選挙運動のすべてではなく、また立会演説会における参加候補者或はその代理人の演説が一般選挙人にとつて候補者選択の唯一の手段でもなく、他にもその手段なり方法が存すること及び実際上選挙人においても立会演説会における候補者の演説或は選挙公報に掲記された政見、政策によつてのみ候補者を選択するものではなく、綜合的に判断してこれを選択するのであるから当該制度に関する県条例制定の有無が必ずしも有権者の待望候補者の利益乃至選挙の公正を害することにはならない。

(三)  原告の所属する津久見市選挙区について考えるに、当該選挙区は面積僅かに七八、三平方粁、東西二八粁、南北一二粁、選挙人は二〇、一三八人に過ぎず、県議会議員選挙の運動期間等と併せ考えるに、街頭演説、個人演説会(共に回数制限なし)等のみによつても、十分選挙人に主義、主張、政策等の周知徹底を期することは可能であり、莫大な経費を要する当該制度の実施は実益に乏しく、制度の優位性を認め難い。従つてかかる実益のない条例の制定が社会通念に合するという原告の主張は首肯できない。

(四)  原告は、当該制度に関する条例の制定は法規裁量であるから必ず制定されなければならないものであり、その実施の場において自由裁量によつて決することが行政の筋合に合するものの如く主張するけれども、公営立会演説会を行わないとの前提から考えるときは、これに関する条例の制定は何等意味がなく、かかる無意味な条例を制定することが行政の筋合に合したものであるとの原告の主張は矛盾も甚しい。

(五)  現行選挙法においては、衆、参議院の議員、都道府県知事及び同教育委員会の委員の各選挙について義務制公営制度を、都道府県議会議員、区を設ける指定市の市議会議員及び市町村長の各選挙について任意制公営制度の実施をそれぞれ規定しているのであるが、この規定の仕方からみても、必要にして絶対的なものは特にこれを義務制選挙公営とし、然らざるものを任意制選挙公営として厳格に区別しているのである。けだし立法の趣旨として、これら任意制公営制度については各地方公共団体の財政事情その他特殊事情等によつて個々に任意的に決定すべきものとしたのであつて、当を得た規定であるといわなければならない。而してこの関係条文の立法解釈としても、全国選挙管理委員会(現自治庁選挙部)の態度も、これが制度の勧奨しない方針である。

(六)  当該制度に関する公職選挙法の規定が特に「条例の定めるところにより」としているのは、該規定による任意制選挙公営は条例の定めるところによつてのみ行い得ることを法律上条例に権限を委任した表現であつて、自主法である条例の制定を義務ずけるための表現ではない。当該規定が自由裁量に属するか法規裁量に属するかの判別も、ことがらの性質とこれを定めた法形式から、その規定を合理的に解釈してその規定が行政機関に政策的な判断を行う余地を残すものと解釈できるかどうかによつて判断すべきものであつて、右の観点からしても当該規定が自由裁量であることは明白である。

(七)  而して公職選挙法第二〇五条にいう「選挙の規定」とは、選挙の管理執行に関する規定であり、公の選挙の管理執行に関する法規は、すべて選挙の公正に行われることを保障する目的で定められたものであるから、これらの法規に違反して行われた場合は、当然選挙の規定に違反したものというべきであるが、当該制度に関する公職選挙法の規定は前述の如く自由裁量に属するものであり、該条例の制定なきことが何等選挙の公正を害するものではない。従つて選挙の規定に違反することはないので、これを選挙訴訟の対象として争う原告の本訴請求は当を得ない。

更に条例の議案提案権は、選挙管理委員会とは別個の機関である地方公共団体の長及び議会に専属するものであり、若し当該条例が既になされている場合においては、これが実施については法の覊束するところであるけれども、条例の制定そのものについては選挙の管理執行の任にあたる選挙管理委員会を覊束するものとはいえない。

(八)  なお原告は、大分県議会議員選挙の全選挙区にわたつて本件訴訟を提起しているが、選挙人又は候補者の訴訟提起の範囲は、その選挙人又は候補者の属する選挙区の選挙に限られるべきである。

要するに本件選挙は、何等その管理執行の手続に関する規定に違反するところはないから、原告の本訴請求は失当である。旨述べた。(立証省略)

理由

原告が昭和三十年四月二十三日施行の大分県議会議員の選挙に際し、選挙権を有し且立候補(中途辞退)したものであること原告は同月二十九日被告に対し右選挙の効力に関し異議の申立をなしたところ、被告は同年五月二十六日異議申立棄却の決定をなしたこと及び右選挙に際し任意制公営立会演説会(公職選挙法第一六〇条の二)並に任意制選挙公報の発行(同法第一七二条の二)に関する大分県条例が制定されていなかつたことは当事者間に争がない。

ところで原告の右異議申立の理由は、前記公職選挙法の規定において、地方選挙に関する任意制公営立会演説会及び任意制選挙公報の発行について定められているにもかかわらず、これに対する県条例の制定がなされていないのは、故意又は不作為による重大な過失であるばかりでなく、明らかに選挙の規定に違反し本件選挙は無効であるというにあること成立に争のない乙第一号証により明白であり、又原告の本訴訴旨もるる述べるところを要約するに、本件選挙に当つて右条例の制定がなされていなかつたため、公営立会演説会を行うことができず又選挙公報も発行せられず、これに対する選挙人の待望、候補者の利益乃至選挙運動の公正な運営は阻害せられるに至り、右は当該行政庁の故意怠慢乃至は重大過失に基因するものであつて、その自由裁量権の濫用であり又社会通念にも反するので、かかる状態の下に行われた本件選挙は結局選挙の規定に違反することとなり無効であるというにあるので、本件選挙において公営立会演説会及び選挙公報の発行に関する県条例の制定がなされていなかつたことが選挙の規定に違反することとなるか否かについて考察することとする。

もともと任意制公営立会演説会(公職選挙法第一六〇条の二)及び任意制選挙公報の発行(同法第一七二条の二)の制度は、選挙に際し、選挙人に対し各候補者の人物、経歴、識見及び政見抱負等を比較考量しもつて候補者選択の利便を与えると共に候補者に対しても選挙運動費用の節減をはかり而もその経歴、政見抱負等を選挙人に周知せしめ得る利益を得しめる建前から衆議院議員、参議院議員、都道府県知事及び都道府県教育委員会の委員の選挙について設けられた義務制公営立会演説会(同法第一五二条以下)及び義務制選挙公報の発行(同法第一六七条以下)の制度を地方選挙の場合にも準用し、当該地方公共団体の条例の定めるところにより、これを行うことができることとしたものであるところ、かかる公営の立会演説会の開催及び選挙公報の発行については、一面選挙人及び候補者にとつて前記の如き利益の存する反面これを行う地方公共団体にとつては相当の費用を負担しなければならないこととなるので、これに関する前記公職選挙法の規定は、当該地方公共団体において、これを行うべきか否かについては、特にその財政事情の外、選挙区の広狭、選挙人及び候補者の数の多寡等諸般の事情を勘案し、もつぱらその自発的意思による議会の議決を経た条例に一任し、これを行うことを相当とするときはその旨の条例を制定せしめることとし、反対にこれを行わないのを相当とするときは該条例の制定を必要としない趣旨であると解するのを相当とする。

そこで本件についてみるに、本件選挙に際し公営の立会演説会及び選挙公報の発行に関する同県条例が制定されていなかつたことは当事者間に争のないところであるから、特段の事情の存しない限り、同県議会は前記諸般の事情に鑑み、本件選挙についてはこれを行わないのを相当と思惟し、該制度に関する同県条例を制定しなかつたものと推断すべきであり-該措置の当、不当はしばらく置く-右条例の制定がない以上、本件選挙の事務を管理する被告としては、公営の立会演説会を開催し選挙公報の発行をなす根拠を有しないものというべく従つてこれを行うに由なく、むしろこれを行わなかつたのは当然の措置であるといわなければならない。原告は大分県議会が右条例を制定しなかつたのは、その故意怠慢乃至は重大過失に基くものであつて、行政権の濫用であり候補者の権利乃至利益を剥奪するものであるから、該条例の制定なく従つて公営の立会演説会が開催されず又選挙公報の発行がなされずして行われた本件選挙は、選挙の規定に違反することとなり無効であると主張するけれども、右条例の制定されなかつたことが大分県議会の故意怠慢乃至重大過失に基くものであるとしても、そのことと本件選挙の管理執行に当つた被告に選挙の規定に違反することがあつたこととはおのずから別個の問題に属するものというべきであるから、これをもつて直ちに本件選挙において選挙の管理執行の手続に関する規定の違反があつたものと論断することはできない。何となれば県条例の制定は県議会の専権に属するところであり、これとは別個の機関である被告としては、県条例を制定しなかつたことの当、不当の如何にかかわらず、ただ公職選挙法及びその関係法規に従つて選挙事務を管理執行すれば足り、而してこれが手続に関する規定違反の事実がない限り、選挙の規定違反は存しないからである。然らば大分県議会の採つた前記行政上の措置の不当であることを前提とし、これを選挙の規定違反であるとして本件選挙の効力を争う原告の主張は到底採用し難い。

してみれば本件選挙において、公営の立会演説会を開催せず又選挙公報を発行しなかつたことは、選挙の自由、公正な運営を担保した選挙の規定に何等違反することはないものというべきであるから、被告が原告の前記異議申立を棄却したのは、まことに相当であり従つて本件選挙を無効とする旨の判決を求める原告の本訴請求は理由がないのでこれを棄却すべきである。よつて民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 野田三夫 中村平四郎 天野清治)

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